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    奈良時代にペルシャ人の役人が居た事が判明!ペルシャ系名字「破斯(はし)」が書かれた木簡が出土

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     奈良市の平城宮跡から出土した8世紀中頃の木簡に、ペルシャ(現代のイラン付近)を意味する「破斯(はし)」という名字を持つ役人の名前が書かれていたことが、奈良文化財研究所の調査でわかった。

     国内でペルシャ人の名前を記した出土遺物が確認されたのは初めてで、奈良時代の日本の国際性を裏付ける成果となる。

     木簡は1966年、人事を扱う式部省があった平城宮跡東南隅の発掘調査で出土した。文字が薄く肉眼では一部が判読不能だったが、今年8月、赤外線撮影をした結果、役人を養成する「大学寮」でのペルシャ人役人の宿直に関する勤務記録とわかった。


    【奈良時代 ペルシャ人役人存在】平城宮跡から出土した木簡にペルシャを意味する名字を持つ役人の名前。木簡に記載された年号は道鏡が太政大臣禅師となった年。 yahoo.jp/or-3E2
    当時の新興勢力だったイスラム教の迫害から逃れてきた人だったのかな?とか妄想が膨らみます( ^∀^)
    二重国籍ではないのか? 大阪維新が問題視するぞwww
    ヤバいこれマジに未だに謎のイスラエル十支族の最後の地が日本だって説あり得るかもしれない。。
    同時期、唐にはペルシャ系とされる地方長官や高句麗人の将軍、日本人の宮中図書館長がいた。
    破斯という苗字だけで判断したのか、判断に妥当性があるかはさておき、なかなか面白い話です。シルクロードを通じて様々な文化人物が流入していたといえそうですね。
    ササン朝滅亡期のペルシャ人か。妄想が捗るなー(・∀・)
    奈良時代のペルシャ人どうやってなぜ来たんだろう…
    ペルシャに帰れたんだろうか…
    ムリそうだよな…
    ロマン…
    765という数字に、つい反応してしまう。765年は天平神護元年。
    奈良時代に異国人が来ていた? という話にロマンがかきたてられる。
    内定式の懇親会で話した農家のおじちゃんが、自分の先祖はペルシャからシルクロードを通って日本に来たから自分の顎は割れてるんだって顎触らされたけど、本当に昔ペルシャの人おったんや…
    ふおお。遣唐使と一緒に日本に来た胡人かな。清原なつの『光の回廊』は滅びたペルシャの小国から来た青年が光明皇后と出会い阿修羅像を彫る物語だった。ロマン
    奈良の都にペルシャの人の名前があったというニュース、聖武天皇の奈良の大仏開眼の時にはインドから来た僧がいたし、そこまで珍しいわけでは…と思ったけど、インドとペルシャじゃ距離違うし、どういうルートで来たかも興味深い
    8世紀の日本にペルシャ人が役人というポジションにまで存在していたなら、それ以前から色んな文化や宗教が今判明していないものも伝播してきていたのかもしれないなぁ。あるいは道鏡の影響なんてのも。
    言われてみれば、いても不思議ではないよな あんだけ「もの」があるわけだから
    なら聖徳太子の母親も可能性あるのかな?
    正倉院の宝物にもペルシャの物がありますが、役人もいたなんて…なんと国際色豊かだったんでしょう!
    島国小国日本のはずなのに大昔から割と多人種いるよな。奈良時代帰化してる中東の人か。。。ペルシャ、、、ロマンだ。。。ペルシャ絨毯とか出て来たら嬉しい。
    これだけでペルシャ人と即断するのは早計だと思う。ただ、大仏開眼の導師が菩提センナだったことなどを考えれば、相当国際的だったことは確か。ペルシャにかかわりがあった渡来系とも考えられる。
    すごくロマンのあるお話だし、学術的にも面白いと思うのだけれども、なぜかペルシャ系の末裔という言葉で平井堅さんが頭に浮かんでくる俗物です
    あのペルシャ絨毯を美術品として保管してたの、日本だけなんやっけ
    個人的には、この当時から「員外」って言葉は使ってたのか、とそっちが気になった
    大仏の開眼供養もインド僧によって行われたし、シルクロードの終着点というのも誇張ではないな。日本はもともと都も港も国際的で、現代の極端な精神的鎖国状態のほうが異常なのだ。
    この記事読んだ瞬間に「平井堅!!」と叫びそうになったごめんなさい。
    役人なら妻子持っててもおかしくないし遠く遠く遺伝子が現代まで受け継がれて来たのかも
    奈良時代にペルシャ人担当の役人がいたとは!?
    歴史ロマンですね!
    イスラエルの失われた10支族の中の人たちが古代日本までたどり着いてるとか、神社にダビデの欲しいがあるとか、古代史は謎が多いですな!
    平城京にペルシャ人の役人がいたというニュースで、今秋の正倉院展はいっそうの混雑が予想される。
    奈良時代の木簡にペルシャ人の名前かぁ〜🎵ロマンある🎵
    聖徳太子自体がペルシャ人だったなんて説もあるから、いても不思議じゃない。

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    あれ?8世紀の奈良はペルシャ人が道を歩く国際都市だったってならったけど役人にいたのがはじめてわかったってことなのかな
    波斯(はし)がペルシャ、か。「は」行は昔「パ」行の発音だったので、もしかしたら「波斯」で「パ(ル)シ」と読んでたのかもねぇ
    中国には結構ペルシャ人いたみたい?

    そういう研究があって、とかの前提で奈良の木簡のも発表されたのかな

    古代史、て結構、論が飛躍するから(資料が少ないのでしかたない)、眉唾で読む癖がついてしまっていて

    あと、新聞の記事、てよくわからない人が書くから曲解されたりするし
    「破斯」かあ。昔古代史の何かで「波斯(はるしゃ)」とルビ打たれたものを読んだ時かっこいい~と思った学生時代を思い出した。ちゃんと日本で通じていた名称なんだな。
    ウマイヤ朝・アッバース朝の頃ですから、可能性はあったでしょう。達磨大師は梁の武帝にイラン方面から来朝したと言われていますから、非常にロマンの或る史実ですね。

    COMMENT

    • 名無しさん@おくったー

      隋王朝は漢民族以外の民族が支配してた王朝って中学で習った記憶があるけど本当かな?あとかなり前の歴史番組で聖徳太子の母親はキリスト教を信仰してたのでは?と取り上げてた。
      2016年10月05日 12:13
    • 名無しさん@おくったー

      ゾロアスター教、マニ教、キリスト教ネストリウス派も中国経由で伝わってたって言うしな
      2016年10月05日 14:40
    • 名無しさん@おくったー

      こーこーさんねんせ〜んぼくらっ
      2016年10月05日 14:59